LGBTのシングルマザーが最愛のパートナーと出会うまでの話

LGBTのシングルマザーが最愛のパートナーと出会うまでの話


パンセクシャルの私は、8歳、6歳の子供がいるシングルマザーです。

パンセクシャルとは?
相手のセクシャルアイデンティ(性的指向)やジェンダーアイデンティティ(性自認)を問わない性的指向」のこと。

シングルマザーで同性のパートナーがいるってどういう事?
と疑問に持たれることもしばしば。

今回は私が最愛のパートナー、Poohと出会うまでの遍歴をご紹介します。

バイセクシャルと自覚した10代。

私が「女性も好きなのかも?」と気づいたのは小学生の高学年頃。

初めて女性と交際したのは15歳、インターネットで出会った少し年上の方でした。

当時は2丁目やオフ会など、オフラインで出会うことが主流。
しかしインターネット普及開始期の波もあって同性愛者向けのウェブサイトがいくつか存在しており、サイト内のコミュニティコンテンツとしてBBSと呼ばれるネット掲示板を使った交流や連絡先の交換が盛んでした。
(前略プロフィール、魔法のiらんど、フォレストページなどで個人ホームページを持つ時代。日本のSNSの走りであるmixi全盛期もこの時代でした)

女性を好きなのかな?と悩む同士がお試しで交際したライトなもので、友達の延長のような関係性だったと記憶しています。

当時傾倒していた趣味のコミュニティには性的指向が同じ人が多く、レズビアン、バイセクシャルの女性向けにオフラインで出会えるイベントをやってみたり、2丁目で遊んだりと、LGBT当事者として比較的オープンに暮らしていました。

女性、男性との交際経験を経て、15歳頃には自分の性的指向は女性も男性も恋愛対象である「バイセクシャル」であるということを自覚。

しかし、レズビアンの知人・友人の中には「結局は男性を選ぶ」「似非レズビアン」とバイセクシャルに対してあまり良い印象を持たない人も少なからずいて、バイセクシャルでいることに居心地の悪さを感じることが多少あったのも事実です。

味方がいない!バイセクシュアルの孤独 セクマイからも「ウソつき」

男女いずれにも深い関係を築くことに積極的になれない時期もあり、アロマンティックの気もあったかもしれません。
(当時はそのような概念、用語が世間に周知されていなかったため、後から気づいたことですが)

アロマンティックとは?
他者と恋愛をしたいという欲求を持たない人
「他者と性行為をしたいという欲求を持たない人」であるアセクシャル・Aセクシャルとは異なる。

思いつきで歌舞伎町のおなべバーで働いてみた20代。

家庭の都合で15歳から一人暮らしをはじめ、生活に関わる費用は全て自力で稼ぐ必要がありました。

会社員と並行していくつかアルバイトをしたり、フリーランスでWeb制作や動画編集をしたり、常に複数の仕事をしていた私ですが、ふとオンラインで見かけた「おなべバー」の求人に”なんか面白そう”という理由で飛び付きます。

おなべとは
職業上、男装して男性のように振る舞う女性水商売従事者や、女性同性愛者のうち男性的な出で立ちで男性的に振る舞う人に対する呼称。

今は閉店しているその店は歌舞伎町のTOHOシネマズ近くにあり、店名が「ティファール」でした。

「おなべ」だからティファール。


店名からしてグレーで、キャバクラ・風俗で有名なチェーン店が初めて出店する業態だしで怪しさしか無かったものの、好奇心と時給もそこそこという理由から即時入店を決めます。

約1年ほど勤めましたが、私以外の従業員は全員FTMの方でした。

FTM(エフティーエム)とは
Female ​to Maleの略。 心と身体の性別に違和感がある「トランスジェンダー」の1カテゴリで、心の性別が男性、身体の性別が女性として出生し、女性から男性へ性別移行を望む方を表す総称。


店のコンセプトが決まりきっていない所為か、ホストやサパー(男性キャストがカウンター越にお客様に接客をする業態)に近いサービスを提供しており、立地と業態からか横柄な態度であったり無茶な飲み方を強要するお客様も多かったものの、今となったらなんだかんだと良い人生経験になったのかもしれません。

けれどその当時に今のパートナーのPoohと出会っていたら「交際には至っていなかったかもね」と笑い話をしたこともあり、実際絶対に好意は持ってくれなかっただろうと確信ができるので、出会ったのが色々と落ち着いた(?)タイミングでよかったと心から思います。


結婚から子供二人の親となり、別居、離婚。

店を辞めた後は拠点を横浜に移したこともあって新宿や2丁目に行くことも減り、最後女性とお付き合いをしたのは21歳。

24歳の時に元夫と出会い交際をスタートして翌年に結婚をし、日本各地や北海道に移り住んで二人の子供を授かりました。
夫婦間にすれ違いがあり32歳で別居。その後まもなく協議離婚をしています。

その間仕事では時短でジョインしたITベンチャーで取締役となり、離婚後に本社のある横浜に子供達と3人で戻ります。

息をつく暇も無く2021年7月、32歳の頃に横浜に新居を構え、転居をしてからは子供たちの小学校、幼稚園の手続きや日々の仕事で忙殺されていてあっと言う間の一ヶ月を過ごしました。

この頃に離婚や仕事による疲れやストレスで不眠や頭痛、食事がとれないなど、複数の身体的症状が出始め、心身の不調がピークを迎えたために二週間休職をしています。


マッチングアプリで最愛のパートナーと出会う。

本題である今のパートナーPoohとは、休職期間中の2021年9月に出会いました。
(休職の間に真剣にマッチングアプリを使っていたこと、会社の人には絶対に言えない)

きっかけの一つとして、オンラインカウンセリングを受けた際のカウンセラーの方にに言われた言葉があります。

「無条件に支え合ったり共感し合える人をゆっくり見つけられたらいいね」

初めて長期的に仕事を休み自分と子供にだけ向き合った期間の中で、確かに今までの人生、常に自分以外の誰かにベクトルが向いていて、自分のことは溜め込む傾向が強かったこと、感情や出来事を誰かと共感するをことを長い間として来なかった事を実感。ゆっくりと助言されたものの、即行動に移すことに。

ダウンロードしたのがレズビアン、バイセクシュアル、クィア専用のマッチングアプリでした。

離婚して間もないシングルマザーなのに出会い系?と怪訝に思われるかもしれませんが、目的はLGBTである事や子供がいる自分を何一つ隠さずオープンに話せる友人を作る事。

アプリでは現在の自分のステータスを友人募集、恋人募集から選択できたので、友人募集でプロフィールを作成。

プロフィールには仕事や過去のことにも少し触れ、なるべく実体と乖離が無いように気をつけました。
(顔は大幅に加工)

Pooh視点の記事も読んでみてね。

マッチングはそれなりに発生しましたが、初日にマッチングしたPoohとだけ、アプリ外のLINEでやりとりをし、数日後には直接会い、さらに数日後には交際にいたりました。

そのため、私のマッチングアプリ使用期間はわずか3日

そのうちの大半がPoohとのメッセージのやりとりで、彼女とLINEでやりとりができるようになった瞬間にアプリ自体をアンインストールしています。

複数の人とオンラインでやりとりをするつもりがなかった事もありますが、顔の見えないDMでのやりとりでも、Poohの誠実さや優しさ、人としての相性の良さを感じていたからだと思います。

彼女の尊敬できる所は数えきれないほどありますが、特に感謝していることは子供達を一人の人間として捉えてくれていること。

私と同じ目線で愛を持って優しく、時に厳しく接してくれています。

それは私という存在を丸ごと受け入れてくれていることと同義で、母親である私としてはこれ以上ない喜びと言えます。


最後に。

今は彼女と交際、同居してあっと言う間に一年が経ちました。

紆余曲折あった人生もこの人に出会うためだったんだなと心から思えるほど、自然で幸せな毎日を送っています。

10代、20代の頃のように見栄を張ったり格好つけたりすることは減りました。

けれど等身大の自分を受け入れてくれる人に30代の今、出逢えた事に感謝していると共に、LGBT、バツイチ、子持ちなどのラベルに悩んで一歩踏み出すことを躊躇している人がいたら、勇気を出してみて欲しいなと思います。

8歳息子と6歳娘のいるパンセクシャルシングルマザーの34歳。 ITベンチャー会社役員。 お酒と睡眠と天丼が好き。 優しさが取り柄と思っているが、パートナーからは頑固でプライドが高いと言われている。 英語はハローとサンキューしか分からない。